KENさん > めぇ、はぁ ま独特の何と言うか、一文字では伝わりにくいという感じなんでしょうか。 どちらか言えば、音楽的(歌的)なのではないかとも思っています。 言葉を音符に乗せるために本来の発音やイントネーションから変形したものになる感じです。 まあそれがきれいな歌的に聞こえるのは、我々大阪人の耳だけなんでしょうが(^^)。 > 国語の時間に全員で本を読む時、イントネーションに変な音符がついているようで > あまり好きではなかったです。 これが奇妙なのは、NHKドラマの大阪弁と同じで、上記のような単音の名詞が間延びして 助詞の代わりにもなっているところに、更に助詞を添えるからなんですね。 「皆さん、手ぇを洗いましょう」と。 本を全員で読むときにはそれに似た状況となります。 本来、大阪弁では「皆さん(ここを「みなはん」というのもNHK的です。何も大阪人は鼻が詰まって 「みなさん」と発音できない訳ではないので。)、手ぇ洗いましょ」です。この「しょ」も「ま」のオマケ に添えるくらいに弱く発音することで、ほとんど1つの音にしてしまうんですよね。 (この場合、「しょ」は「ひょ」でも良いのは、1つの音にするのに響きの流れがいいからです。 その点、「みなはん」と「みなさん」は音節数的に省略度は変わりませんので、他府県の人が思うほど あまり重宝されません。使う場合は音節数が減るように「な」と「は」は一つの音(難しいですが) に近くなるのも同じ理由です。) ここが上記の「歌的」という所以です。斉読ではそれらができません。字を飛ばさずきちんと 読まなければいけませんから。なので奇妙に感じで当然だったと言えますね。 > 3台に2台は停止線オーバーで止まる車、これも好きではないところです。 列を並ばないとかもですね。 でも東京出張とかしても「なんだどこも変わらないなあ」と最近は思います。 携帯電話のメールかゲームに没頭しているふりをして割り込む、人の足をとめてまで前を 横切るなど、横着はいくらでもありますね。 前にも書いたかもしれませんが、子供のころはポケットに手を入れて歩いているだけで 「横着ものが」と叱られたり、周囲に奇異に映ったものでした。 > といっても大阪が嫌いなわけではありません。 大阪が嫌いだと言っていいのは、大阪人自身だけにして貰いたいですね。 よその人に言われたくありません。ですが、そうでないことがよくあります。 しかも堂々と言われたりします。私らが一体何をしたって言うんでしょう(^^;)。 「人の心に土足で上がりこんでくる」とか言われることがあります。そんな現場見たことが あるんですかね。私はないです。しかも他府県の人をそうやってこき下ろす無礼もしません。 > miniSDアダプターをつけて携帯電話で認識、SDアダプターをつけてEOSでも認識、と問題ありません。 銀塩写真で言えば、35mmムービーカメラも、35mmスチルカメラも、果てはAPSも110タイプも、ミノックス も同じフィルムが使い回せるというような、凄い状態と言えますね。 > メモリーを使い捨てても撮影枚数を考えたらフィルム+現像代を遥かに下回ってますね。 そうですね。使い捨てには誰もしませんが、それほどまでにコストが下がったということですか。 作り手の存亡は大丈夫なのかとも思ってしまいます。 |