KENさん > 全く嫌味がなくて美味しかったです。 いいですねー。私はずっと雑食でしたが、今は食べる量が減ったので、 味わいとかを人並みにこだわりたい気分も解することがようやくできる ようになってきた感じです。味覚もようやく年齢相応という訳です。 あとは財布の中身が年齢相応になってくれればいいのですが....(こっちは全然^^;)。 その点、実家・親戚から送ってもらうものというのはありがたいものです。 冷たいものでうちの実家からはなかなかそういうのが来ませんが(>_<)、 家内の実家にはいつも本当に良くして貰ってます(こんなところで礼を 書いても先方には届かないでしょうけど...^^)。 > 土星は縞ばかりの時は何時間でも何時でもOKの雰囲気ですよね。 そうですよね。私は縞が写れば(毎回幸運にもコンスタントには写ってますが)、 それ以上何かを検出できるとはいつも思ってませんでしたので、多数枚 スタックを標準にしていました。白斑列などが写ったりすると、土星ももう少し 興味をひく対象になるのでしょうが、環の経年変化を楽しむのがベースになって しまいますので、その年の最高値仕上がりが出たら、急速に興味が冷えてしまう 感じがします。 > 火星は自転が遅いので次回の接近時にはいろいろ試したいと思っています。 7分程度の間に、と昔はどこかに書かれていたものでした。 拡大率が昔とは全然違うでしょうから、もっと短くするべきでしょうけど、 まあそれでも木星ほど気にすることはないでしょうね。 もうそろそろシーズン前という感じです。2年ごとの接近なので、やはり他の 惑星よりしっかり狙っておきたい気持ちがありますよ。 > 私の印象は、ノイズで隠れた分だけ星が多めに写っていたという印象です。 ああそうですそうです。そんな感じだと思います。 特に都市部の空での撮影の場合、それで充分だと思っています。 都市部を離れて肉眼でもかなりの数の星が見えるときに何とか記録したいと 思ったケースではその効果だけでは物足りないこともあるのかもしれませんが。 > 固定の場合は視野回転が課題ですが赤道儀を持っていないときは、 > 沢山撮影するのは良いようです。 機材は持ち合わせておらず、降るほどの星を前に何とかそれを記録に残したい という思いへの工夫というのは、とても共感を覚えるところです。 そもそも天体写真を撮ろうとこの世界に入った誰もが最初はそういう思いから スタートしたのだと思うのです。 その後のアプローチと発展の方法は人によって違いますが、初心に帰るのは とてもいいことですよね。 「機材もないし、記録できないなら悔しいのであまり星空も見ないでおこう」という 最近の私の考え方は、いかんですね(^^;)。 コンパクトデジカメで超ローノイズ機(FinePixF31fdのような)があれば、気軽な 旅行のいでたちで、スタックでの星野撮影も、なかなかの仕上がりになるかも しれません。....って、それはそういう機材を用意しているのと変わらないのか...?? まあそれでも特別な装置を家族旅行で運び顰蹙を買うことはありませんですよね(^^;)。 > ストロボパターンは故障時のチェックみたいな、お飾りという感じです。 ああそうなんですか。その世代の前のターンテーブルは、クラシックなどでppp→fff みたいなダイナミックレンジの変化のところで少しストロボパターンが一瞬後ろに流れる ようなところがあって(当然それは微妙に音程ピッチにも影響します)、記録再生と いう意味では如何なものかと思いつつ味わいがあったのを思い出します。 サーボモータ、クオーツロック....だんだんその頃から、オーディオはノウハウと工夫で磨き 上げられる趣味というよりは「お金をかければ良いものが得られ、お金がなくても そこそこ楽しめる」という方向に寄って行き出しました。今の私のW-Zero3[es]とヘッドホン など後者が行き着いた成れの果ての印象です。 > カセットテープからCD化しようとは考えているのですが、それは定年後でしょうか。 確かにWAV取り込み時に音量モニタなどもしていると他に何もしないうちに1日が 終わってしまいますから、ちょっとした暇にできる作業でないのが困りモノです。 > これでワンタッチでカセットテープ→MDに出来ます。 新しい家電やデバイスを買ったときってワクワクしますよね。 私自身は最近その気分には大変ご無沙汰なんですけど(^^;)。 > #やら♭やらがたくさんついた楽譜をよむこと、8拍子のところを7拍子で演奏することなど それが目的になっている音楽は聴いていてもつまらないものです。 当時いかにウケていようが、今聴けばその偽物性、ハズレ性は明らかです。 着想したメロディを如何に新鮮に展開させるか、聞き手の予想の上を行ってより大きな感動 に至れるかを考える時に、変拍子などが出てくるのでしょう。なので多くの場合、それらの 音楽は「つぎはぎ」な構成をとっていて、一貫して同じ変拍子というような無理(つまり本来 変拍子が本末転倒)はしていません。 そんなアプローチは、20世紀初頭の近代音楽が模索した表現拡張と非常に似通っていて、 その点を真摯に追究した音楽は、今聞いても古くなく、いまだ「かつてない」を貫いている 感じがします。 「前衛」が結局誰にも追随されないなら、結局それは「前衛」ではなく「自己満足」や 「幼児の遊戯」と変わらない訳で、「今は普通に聴ける」ということが「当時の前衛」を値踏み する上で、とても重要な判断点になります。 確かに技術が必要な音楽なんですが、それは前提手段でしかないのですよね。 手段なので技術が要らない場合もあります。 それより今から30-40年前に世界の音楽の単純さと裏腹に20-30歳代の若い人間の頭に それらがゼロから頭に浮かんだというところが、そして結局世界規模で商業的成功にまで 持って行ったというのが、凄いことだと思います。今ではもう「都市伝説」と変わらないほど 「起こりえない夢物語」の世界に近い話になってしまいましたが。 |